勘違いな男、勘違いな女
そこから生まれる愛・別離・・・・悲劇そして・・・・・喜劇
(もうそろそろ、時間だな・・・)
半分程になったコーヒーをまた一口すすりながら、俺はカップ越しに壁の時計を睨んだ。
5人分のカウンターには勿論、わずかなスペースにかろうじて置いてある二人分のテーブルにも、俺のコーヒーカップ以外は何も出てはいない。
いつも通りなら、少なくともあと一時間はこの状態が続くだろう。
数分後に出るであろう、もう一個のコーヒーカップを除いては・・・。
この狭くて薄暗い茶店に、学生時代に通ったJazz喫茶と同質の何かを感じるのは、時折流れるコルトレーンのせいだろうか?
四十七才とも、もはや六十才とも云われる年齢不詳のマスターが、
その昔テナーを吹いていたらしいという噂も、あながち嘘では無さそうだ。
仕事帰りにこの店を見つけてから、もう4ヵ月になろうとしている。
それにしてもいつの頃からだろう、水曜の夜に一人の女が必ず居ることに
気付いたのは。
極上に旨いキリマンジャロより、その女の為に通う自分に気付いてから、少なくとも2ヵ月は経っている筈だ。
(来た・・・)
まるでその女の為に作ったような優しい鈴の音色と共に、重い木製のドアがゆっくり動くと、水曜の女神が静かにその姿を表わした。
女はいつものようにマスターの挨拶ににっこり微笑むと、軽くこちらに会釈をした。
一つおいたカウンターの席に着くと、静かにその長い髪を掻き上げながら、これもまたいつものように、小声で純情そうにブレンドを頼んだ。
そう、何処にでもいるワンレンの女と彼女をはっきりと区別しているのは、まさに彼女の持っているその可憐なる純情さに他ならなかった。
いつもならここから先はそれぞれの活字の世界の中で、コルトレーンのバラードがゆっくりと時を刻んでゆく。
だが、今日はこの先がまるで違っていく事に、女はまだ気付いていない。
今まで寡黙を演じていたこの俺が、まさか話しかけるだろうとは・・・・。
「よく会うよね」
女はちょっとだけ驚いたような顔をして、こちらを向いた。
「本当にいつもお会いしますね!」
さっきの恥ずかしそうな声とはうってかわって、
元気な声だ。やはり話しかけて正解だった。
「いつも思ってたんだ。長い髪がなかなか素敵だなってね」
いかにも恥ずかしいというような顔をしながら、女はありがとうと小さく囁いた。やはり髪を褒められるのは、女にとって嬉しいらしい。
通り一辺の世間話をした後、俺はいよいよ核心に迫った。
「今つきあっている男いるの?」
「い、いえ、そ、そんな人、全然いません!」
女は咄嗟に大きく首を振った。
マスターに聞こえる程の大きな声で、真剣に言った女の言葉に嘘はまったく見て取れなかった。
何より驚かされたのは、女のかなりの慌てようだった。
そのうろたえた態度の中に、俺はゴーサインの信号が光ったのを確信した。
だが待て、
誰だって急にそんな事を尋ねられたら、うろたえるだろう。
俺は慎重派だった筈だ。
耳まで真っ赤にして慌てふためく女に、俺はゆっくりと念を押した。
「女ってのは、嘘が上手いからな」
「わ、私、今本当にフリーなんです」
その言い回しには、愛してくれる人が欲しいのに「彼氏がいる」なんて辺りに勘違いされては大変困る、という女心が如実に現われていた。
女は動揺を隠しきれずにいる。
恥ずかしがってうつむいたまま、次に出てくる台詞を待っていた。
「俺と付き合わないかな」
かなりの確信を持ちながら、俺は女に囁いた。
「・・・・・」
予想はしていたものの、これ程真っ赤になるとは思わなかった。やはり、女は思ってた以上に純情だった。
純情な女には、誠実な男が一番よく似合う。
俺は、誠実な男を演出する為に考えておいた最後の決め言葉を吐いた。
「友人、そう、まずは友人からさ」
「は、はい」
恥ずかしそうに頷いた女をはっきりと確認した俺は、素早く勘定を済ますと、ドアに向かって歩き始めた。
ドアの前で一度だけ振り返る。
「じゃあ来週、また」
最初はこれくらいクールでちょうどいい。
外に出ると初秋の風が頬を撫でた。
気持ちのいい風だ。
決まった、今日は実に最高の日だ。
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